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2011年8月

嫁さんの実家へ3泊4日の帰郷~岩手県釜石市~

家族みんなで8月11日~8月15日まで、嫁さんの実家である岩手県釜石市へ3泊4日の期間で帰郷してきました。

8月11日の夜から徹夜で無我夢中で車を運転して14時間の時間を掛けて無事に辿り着くことが出来ました。

あの東日本大震災から5ヶ月が経過し、初めて足を踏み入れ、被災地の現状を見ることが出来ました。

色々な事情と距離的なことなどで、5ヶ月もの時間を掛けてしまいました。復興に一番大変だった時期を現地で何も手伝うことが出来ませんでした。今回、あくまでも現状を見ることに留まり、これと言ったことは何も出来ていません。偉そうなことは何も言えません。

けれど、被災地の現状を目の当たりにし、息子二人と共に津波の恐ろしさを目にすることで、自分達が今住んでいる環境に置き換えた時にどういったことが必要なのか、怠るとどのようになってしまうのかなどを話すことが出来ました。

長男坊は積極的に、そして真剣に見て回ってくれていました。

現地へ行くまでに時間が掛かってしまったけれど、息子達にとって心に訴えられる何かを感じることが出来た貴重な体験だったと思います。

釜石市に到着した初日は、実家へ向かう前に父ちゃんの眠る御墓に挨拶をした。

今回の震災で実家の家に大きな損害がなかったこと、母・姉が無事でいられたことには、天国の父ちゃんが守ってくれたことだと自分が勝手に思っていることで、真っ先に父ちゃんにお礼を言わなければいけないと思っていたからだ。

父ちゃんの御墓から見える風景には、瓦礫の山と破壊された車が集められていた↓

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そして御墓の駐車場には仮設住宅が建てられていた。

そんな光景を見た後に実家へ到着し、母と姉との再会にみんなが笑顔で、そして「本当は何も無かったんじゃないの?」と錯覚してしまうほどに、今までと変わらない空気がその場に流れていたように感じた。

母ちゃんは相変わらずの大きな声で、そしてみんなを急かすようにバタバタと動きまわっている。そしてその後ろからは姉ちゃんがちょこちょこと突っ込みを入れる。今までと何も変わらない。この空気の流れだ。それだけで嬉しい。

実家には嫁さんの従兄弟のコウジとフミトが顔を出してくれていた。

徹夜での運転で疲労困憊だった私も休まずアルコールを口に運んだ。

今回の帰郷で自分なりに決めていたことの一つ。嫁さんの叔父や従兄弟と楽しく酒を飲みながら色々なことを話すこと。

これが実家に着いて直ぐに実行することが出来た。

自分達が結婚した時はまだ小学5年と小学1年だったコウジとフミト。今では二人とも立派な社会人になった。二人に余り気を使わせないようにテンションを上げて、私から出来るだけ話を持ち出し、二人ともたくさん話をしてくれた。自分にとっては本当の弟のようで、これからもっともっと深い付き合いが出来たら最高だなと思っている。

徹夜したことと、酒の影響で泥のように眠りに付いたが、次の日は朝の8時から息子二人とランニングへ出掛けた。自分はカメラを片手に。

実は今回の帰郷で現地の写真をたくさん撮れたらと思っていたが、車で移動しながら途中で車を停めて、車から降りて写真を撮る姿が余り良いものではないような、失礼なような気がして、出来るだけ車を使わずに移動できる範囲は自分達の足で移動して写真を撮るようにした。

走って約12Km(多分もう少し距離は走ったと思う)の範囲を移動して、津波の被害のあった地域を回った。歩道のアスファルトは地震の影響でほとんどがデコボコとしていて平らな場所がなかった。自分達の足で動きまわった分、細かなところにも目を配ることが出来た。すれ違う現地の人達も走っている私達の姿を見て挨拶を交わしてくれた。

最初に走って向かったのは下平田地区↓

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2階部分が流され1階部分だけが残った家。この家より隣の家(港に近い方)になると、民家は全て土台しか残っていなかった。

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大きな建物も、鉄骨も津波の力で破壊され、派手に折れ曲がっていた。

そして、辺りにはカラスが飛び回る姿を多く見掛けた。

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水産試験場の方へ場所を移動すると、多くの車と瓦礫の山が。

側で見ると見上げるほどに積まれていた。一部はプレスされていたが量はハンパじゃない。

ここからは地元の人達も嫌がる激しい角度と長さの坂を走って山越え。

息子二人も朝から30度を超える暑さの中で走ってくれた。もちろん自分にとってもキツイ坂道だったけど、エネルギーが溢れだし3人で声を掛け合いながら気持ち良く走れた。

山を越えると嬉石地区↓

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嬉石地区も甚大な被害を受けた地区。

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電柱も根こそぎやられている。

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同じ地区でもほんの少しの高さの差で、流されてしまった家と被害を免れた家が存在していた。隣同士でも2~3mの高さの違いで被害が違っていた。被害を免れた家の人達は今も住むことが出来ているが、見下ろせば下はまるで廃墟のように並ぶ家々。母は言う「ちょっとの差で被害が0~100と全く違うものになる」と。

この日は、夕方から嫁さんの叔父、通称:ポコ兄と少しお酒を飲み話をした。テレビの津波映像でみんなが目にしているのは浜町地区。この高台に家が建っていたので津波の被害を免れたが、私達がテレビで見ていた映像を実際に生で全てを見ていたそうだ。「信じられない」その一言だったと言っていた。「釜石にいる間に見れるものは見ていった方が良い。そして、静岡に帰ったら知り合いに見てきたことを話し伝えて欲しい」とも言われた。

この浜町の写真は撮ることが出来なかった。

この5ヶ月で自衛隊・ボランティアの人達の協力でかなり瓦礫の撤去は進んでいたが、自分のレベルでは上手く処理が出来ず、頭の中で整理がつかなかった。それぐらい全てが津波で流され変わり果てた姿になっていた。

また次の日には、津波で多くの人が行方不明になった大槌町へ向かった。

車で向かう途中で、両石地区の風景を見て背筋がゾッとした。

ほとんどの家が流され残っていないのだ。

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全てが流されてしまった場所で家族全員で立ち尽くした。言葉が出なかった。

人の気配もなく、本当に異様な風景だった。

大槌町にあるスーパー。マスト↓

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私達が実家に帰った時には必ず買い物に出掛けていたここら辺でも大きなスーパー。

震災直後は瓦礫が津波と共に流れ込み埋もれてしまっていたが、この5ヶ月で全て撤去されていた。驚くばかりだ。

しかし、全てが流されてしまったのには変わりはない。

↓大槌町へ向かう途中の鵜住居地区。

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↑鵜住居の駅はホーム・線路が全て流されてしまっていた。

駅のホームがあった場所に息子二人と立ち、何とも言えない違和感を感じた。

今は穏やかな海がここから見えるのは、かなり遠い距離にあるからだ。

それでも津波は到達する。そして飲み込んでいくのだ。

駅の周りの家は全て流された。

駅のホームの地下連絡通路は今も水が浸水していて降りることが出来ない。

正直、凄く恐かった。受け入れるのを自分の体が拒否し始める。

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今回、見れるものは出来るだけ見て回った。

息子二人も真剣に向き合ってくれた。

あとは自分達の生活に置き換えて考えていかなければいけないと強く感じた。

だからと言って自分達で出来ることは限られている。自分の家族を失うことは絶対に避けたい。そう言った気持ちを持つことは自分勝手過ぎるだろうか?

家族みんながいつも一緒にいられるわけじゃない。離れている時間は多い。

だから息子達にも自分で自分の身を守れる防衛線を張らせないといけないと強く感じる。

自分達がどういう地域に住んでいて、どう対処しなければ生き残れないのか。

今回の地震・津波の被害は活かされないといけない。

息子達とは貴重な時間を過ごせた。息子達にも考えさせなければ。

そして、昨日はまたまた嫁さんの従兄弟であるタカシと酒を飲んでたくさん話をした。

こいつは本当に気の良い奴で本当に話をしていて楽しい。

叔父のポコ兄も一緒だったので、更に酒が進んだ。

吐くほど飲んだ(笑)

二日酔いになりながらも予定通りに実家を出発し、無事に自宅へ帰って来れた。

往復で車を運転した時間は25時間。凄くハードでくたびれた。

だけど、それ以上に濃い素晴らしい時間を過ごせた。

親・兄弟、私達を取り巻く身内にたくさんのエネルギーを与えてもらったこの4日間。

もっともっと恩返しをしなければ。

また笑って再会出来る時まで、みんなで頑張って生きていこー!

母ちゃん、姉ちゃん!

また帰るからね!

   

プチ夏合宿

Hi3g0246

↑この画像は長男坊達が明日から御前崎で行う1泊2日のプチ夏合宿のスケジュール表。(作成者:タイチ)

画像では見難いが中身を書き出してみるとこんな感じ。

<1日目>

13:30 集合

13:30~16:00 フリータイム

16:30~19:30 さがら子生れ温泉 ※500円+夕食代(800円前後)

20:00~ フリータイム ⇒ 就寝

<2日目>

~11:30 朝食 ⇒ フリータイム ⇒ 昼食

12:46~13:03 白浜下バス停(バス代)

13:03~16:00 ぷるる (300円+自販機)

17:00 夕食

都合の良い時間に解散

てな感じのスケジュールが書かれている。

大変、雑な感じでありながらもバスの時刻は正確で、あえて勉強やトレーニングの時間は書かずにフリータイムとしてまとめてある。この大雑把感がとても面白い(笑)

去年の年末にもウチで合宿と銘うって集まったメンバーが場所を移して夏バージョンの合宿をやるんだと盛り上がっている。

今回の企画者であるタイチも相当楽しみにしてこのスケジュールを考えたんだと思う。

自分も学生時代は色々と友達同士で計画を立てて遊び、今では良い思い出になっている。

勉強やスポーツは当然ながら、この年代は遊びも大切。

自分は山が多い土地で育ったので、夏は山の中でサバイバルなんて朝から晩までやってた。暗くなって山の中で迷子になり、必死になって歩きまわってグチャグチャに汚れながらも民家の灯りを見つけて「生きている実感」なんかを勝手に持ったりして凄く楽しかった。

家からナタを持ちだし山の中に入り、勝手に竹を切り、基地を作る材料にして立派な基地を完成した矢先に、山の持ち主に見つかり大説教を受けたり。

川に潜りモリで魚を捕まえて河原で火を焚き自分達で魚を焼いて食べたり本当に楽しかった。

自分達で興味を持ったことを自分達で考えて『遊び』の質を上げて、トコトン遊ぶ。

自分が子供の頃の遊びのテーマは主に『サバイバル』だったけど、意外に質は高かったと思ってる。

そう言えば夏の定番『キモ試し』もお寺で本格的にやったな。フトンカバーを被ったり、釣り竿にこんにゃくぶら下げたり。テレビを見て得た知識や図書館で読んだ本で得た知識なんかを総動員して友達みんなで一生懸命に話し合って計画立てて本当に楽しかった。

集まってダラダラとつるんでいるだけじゃ駄目だ。

遊ぶならその『遊び』にも本気を出せ。質を上げろ。

つるんでかっこつけてるだけじゃぁイカンぞ。

とりあえずは過ぎてしまったら戻って来ない貴重な時間を仲間で思いっ切り楽しんでもらえたらと思います。

ではでは、この辺で。また~paper

松田直樹選手の御冥福をお祈りします

サッカー元日本代表DFで、日本フットボールリーグ(JFL)松本山雅FCの松田直樹選手が4日午後1時6分、長野県松本市内の病院で死去した。34歳だった。松田選手は2日午前、同市内で練習中に倒れ、病院に救急搬送された。急性心筋梗塞と診断され、人工心肺による治療を受けていた。

↓動画(PCのみ)

昨日から個人的に松田直樹選手のニュースの続報にばかり気を取られ、今日も心配で心配で仕方がなかった。

自分の同世代である松田直樹選手には本当にたくさんの刺激をもらった。

高校時代から名前を全国に知らしめ、中田英寿と共にこの世代を盛り上げてくれた。

私には全く手の届かない雲の上の存在ではあったけれど、同世代としては自分の目標にもなる心強い存在だった。

いろいろと性格の部分で報道を賑わせるところがあったけれど、個人的にはそのサッカー観というか、メンタル・スピリッツの部分に共感を持てたし、正直大好きな選手だった。

試合中に吠えて仲間を鼓舞する姿は、見ている私の胸を本当に熱くしてくれた。

フォワードからサイドバックに転向しセンターバック、ボランチも務めた。

上手くて、足元が器用な選手というイメージは全くないが、常に全力でプレーし、自分の力を全てピッチの上で出し切る姿は、凄く印象に残るし、胸躍らされるプレイヤーだった。

そんな松田直樹選手の死は私個人にとっても大きなショックと悔しさを受けるものだった。

松田直樹選手には天国でもサッカーを続けてもらいたい。

この悲しみを胸にしまって私の生きる力へとかえていきたいと思う。

ネット上では、たくさんの人達が生きることを望み、願い、祈るメッセージが多く飛び交っていた。日本中のみんなが色々な気持ちでメッセージを送っていた。

偉大な選手を失ってしまったが、私達の心には残っているし消えることはない。

今はただただ御冥福を祈るのみ。

松田直樹選手、お疲れ様でした!

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