嫁さんの実家へ3泊4日の帰郷~岩手県釜石市~

家族みんなで8月11日~8月15日まで、嫁さんの実家である岩手県釜石市へ3泊4日の期間で帰郷してきました。

8月11日の夜から徹夜で無我夢中で車を運転して14時間の時間を掛けて無事に辿り着くことが出来ました。

あの東日本大震災から5ヶ月が経過し、初めて足を踏み入れ、被災地の現状を見ることが出来ました。

色々な事情と距離的なことなどで、5ヶ月もの時間を掛けてしまいました。復興に一番大変だった時期を現地で何も手伝うことが出来ませんでした。今回、あくまでも現状を見ることに留まり、これと言ったことは何も出来ていません。偉そうなことは何も言えません。

けれど、被災地の現状を目の当たりにし、息子二人と共に津波の恐ろしさを目にすることで、自分達が今住んでいる環境に置き換えた時にどういったことが必要なのか、怠るとどのようになってしまうのかなどを話すことが出来ました。

長男坊は積極的に、そして真剣に見て回ってくれていました。

現地へ行くまでに時間が掛かってしまったけれど、息子達にとって心に訴えられる何かを感じることが出来た貴重な体験だったと思います。

釜石市に到着した初日は、実家へ向かう前に父ちゃんの眠る御墓に挨拶をした。

今回の震災で実家の家に大きな損害がなかったこと、母・姉が無事でいられたことには、天国の父ちゃんが守ってくれたことだと自分が勝手に思っていることで、真っ先に父ちゃんにお礼を言わなければいけないと思っていたからだ。

父ちゃんの御墓から見える風景には、瓦礫の山と破壊された車が集められていた↓

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そして御墓の駐車場には仮設住宅が建てられていた。

そんな光景を見た後に実家へ到着し、母と姉との再会にみんなが笑顔で、そして「本当は何も無かったんじゃないの?」と錯覚してしまうほどに、今までと変わらない空気がその場に流れていたように感じた。

母ちゃんは相変わらずの大きな声で、そしてみんなを急かすようにバタバタと動きまわっている。そしてその後ろからは姉ちゃんがちょこちょこと突っ込みを入れる。今までと何も変わらない。この空気の流れだ。それだけで嬉しい。

実家には嫁さんの従兄弟のコウジとフミトが顔を出してくれていた。

徹夜での運転で疲労困憊だった私も休まずアルコールを口に運んだ。

今回の帰郷で自分なりに決めていたことの一つ。嫁さんの叔父や従兄弟と楽しく酒を飲みながら色々なことを話すこと。

これが実家に着いて直ぐに実行することが出来た。

自分達が結婚した時はまだ小学5年と小学1年だったコウジとフミト。今では二人とも立派な社会人になった。二人に余り気を使わせないようにテンションを上げて、私から出来るだけ話を持ち出し、二人ともたくさん話をしてくれた。自分にとっては本当の弟のようで、これからもっともっと深い付き合いが出来たら最高だなと思っている。

徹夜したことと、酒の影響で泥のように眠りに付いたが、次の日は朝の8時から息子二人とランニングへ出掛けた。自分はカメラを片手に。

実は今回の帰郷で現地の写真をたくさん撮れたらと思っていたが、車で移動しながら途中で車を停めて、車から降りて写真を撮る姿が余り良いものではないような、失礼なような気がして、出来るだけ車を使わずに移動できる範囲は自分達の足で移動して写真を撮るようにした。

走って約12Km(多分もう少し距離は走ったと思う)の範囲を移動して、津波の被害のあった地域を回った。歩道のアスファルトは地震の影響でほとんどがデコボコとしていて平らな場所がなかった。自分達の足で動きまわった分、細かなところにも目を配ることが出来た。すれ違う現地の人達も走っている私達の姿を見て挨拶を交わしてくれた。

最初に走って向かったのは下平田地区↓

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2階部分が流され1階部分だけが残った家。この家より隣の家(港に近い方)になると、民家は全て土台しか残っていなかった。

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大きな建物も、鉄骨も津波の力で破壊され、派手に折れ曲がっていた。

そして、辺りにはカラスが飛び回る姿を多く見掛けた。

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水産試験場の方へ場所を移動すると、多くの車と瓦礫の山が。

側で見ると見上げるほどに積まれていた。一部はプレスされていたが量はハンパじゃない。

ここからは地元の人達も嫌がる激しい角度と長さの坂を走って山越え。

息子二人も朝から30度を超える暑さの中で走ってくれた。もちろん自分にとってもキツイ坂道だったけど、エネルギーが溢れだし3人で声を掛け合いながら気持ち良く走れた。

山を越えると嬉石地区↓

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嬉石地区も甚大な被害を受けた地区。

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電柱も根こそぎやられている。

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同じ地区でもほんの少しの高さの差で、流されてしまった家と被害を免れた家が存在していた。隣同士でも2~3mの高さの違いで被害が違っていた。被害を免れた家の人達は今も住むことが出来ているが、見下ろせば下はまるで廃墟のように並ぶ家々。母は言う「ちょっとの差で被害が0~100と全く違うものになる」と。

この日は、夕方から嫁さんの叔父、通称:ポコ兄と少しお酒を飲み話をした。テレビの津波映像でみんなが目にしているのは浜町地区。この高台に家が建っていたので津波の被害を免れたが、私達がテレビで見ていた映像を実際に生で全てを見ていたそうだ。「信じられない」その一言だったと言っていた。「釜石にいる間に見れるものは見ていった方が良い。そして、静岡に帰ったら知り合いに見てきたことを話し伝えて欲しい」とも言われた。

この浜町の写真は撮ることが出来なかった。

この5ヶ月で自衛隊・ボランティアの人達の協力でかなり瓦礫の撤去は進んでいたが、自分のレベルでは上手く処理が出来ず、頭の中で整理がつかなかった。それぐらい全てが津波で流され変わり果てた姿になっていた。

また次の日には、津波で多くの人が行方不明になった大槌町へ向かった。

車で向かう途中で、両石地区の風景を見て背筋がゾッとした。

ほとんどの家が流され残っていないのだ。

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全てが流されてしまった場所で家族全員で立ち尽くした。言葉が出なかった。

人の気配もなく、本当に異様な風景だった。

大槌町にあるスーパー。マスト↓

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私達が実家に帰った時には必ず買い物に出掛けていたここら辺でも大きなスーパー。

震災直後は瓦礫が津波と共に流れ込み埋もれてしまっていたが、この5ヶ月で全て撤去されていた。驚くばかりだ。

しかし、全てが流されてしまったのには変わりはない。

↓大槌町へ向かう途中の鵜住居地区。

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↑鵜住居の駅はホーム・線路が全て流されてしまっていた。

駅のホームがあった場所に息子二人と立ち、何とも言えない違和感を感じた。

今は穏やかな海がここから見えるのは、かなり遠い距離にあるからだ。

それでも津波は到達する。そして飲み込んでいくのだ。

駅の周りの家は全て流された。

駅のホームの地下連絡通路は今も水が浸水していて降りることが出来ない。

正直、凄く恐かった。受け入れるのを自分の体が拒否し始める。

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今回、見れるものは出来るだけ見て回った。

息子二人も真剣に向き合ってくれた。

あとは自分達の生活に置き換えて考えていかなければいけないと強く感じた。

だからと言って自分達で出来ることは限られている。自分の家族を失うことは絶対に避けたい。そう言った気持ちを持つことは自分勝手過ぎるだろうか?

家族みんながいつも一緒にいられるわけじゃない。離れている時間は多い。

だから息子達にも自分で自分の身を守れる防衛線を張らせないといけないと強く感じる。

自分達がどういう地域に住んでいて、どう対処しなければ生き残れないのか。

今回の地震・津波の被害は活かされないといけない。

息子達とは貴重な時間を過ごせた。息子達にも考えさせなければ。

そして、昨日はまたまた嫁さんの従兄弟であるタカシと酒を飲んでたくさん話をした。

こいつは本当に気の良い奴で本当に話をしていて楽しい。

叔父のポコ兄も一緒だったので、更に酒が進んだ。

吐くほど飲んだ(笑)

二日酔いになりながらも予定通りに実家を出発し、無事に自宅へ帰って来れた。

往復で車を運転した時間は25時間。凄くハードでくたびれた。

だけど、それ以上に濃い素晴らしい時間を過ごせた。

親・兄弟、私達を取り巻く身内にたくさんのエネルギーを与えてもらったこの4日間。

もっともっと恩返しをしなければ。

また笑って再会出来る時まで、みんなで頑張って生きていこー!

母ちゃん、姉ちゃん!

また帰るからね!

   

Happy birthday

勝澤家の長女「ゆま」の15歳の誕生日birthday

今年は何をプレゼントしてあげようかと嫁さんと二人で昨日・今日の二日間は色々とお店を見て回って、喜んでもらえそうな品を物色して、頭を悩ませて、オロオロオロオロしてました(笑)

変わりモノが大好きな勝澤家とウチ。

「ゆま」の心を掴むモノをチョイス出来るかにプレッシャーを感じながら選んだモノがこれ↓

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『つぼ押し健康家族の「坪井さん」一家』

家族構成もしっかりとしていて、それぞれ役割分担されてます(笑)

そして「ゆま」に喜んでもらえるかドキドキしながら、本人にプレゼントを渡して・・・↓

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予想以上に喜んでくれましたgood

中には別の家族「洗井さん」も入ってました(笑)

一つ一つは普通の健康グッズなんだけど、なかなかインパクトがあるキャラに私も心を鷲掴みされました。今度は自分家用にも買ってこよう。

「ゆま」。明日からきちんと『坪井 刺激(父)45歳』のストラップをカバンに付けて登下校するように!

あらためて「15歳の誕生日おめでとう!!」

それでは、また~paper

家族で温泉

今日は息子二人と温泉へ。

場所は遠州浜天然温泉「八扇乃湯」。

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サウナはちょっと残念な感じだったけれど、露天風呂はかなり広く、内風呂のジャグジー風呂、超音波風呂とかなり満足出来る感じで。

息子二人もだいぶ楽しんでました。

私もかなり心と体と癒されました。

少しずつ気持ちも切り替えて、やれることを頑張っていこう。

ではでは、この辺で。また~paper

感謝と感激で一杯です

あの震災から一週間。

連絡が取れていなかった岩手県釜石市の家族からメールで連絡がありました。

家族・身内全員の無事が確認出来ました!

今、私から言えることは

「家族みんな無事で何より」

これだけです。

今回の震災後から私の周りの多くの人達が本当に心配してくれました。

そして、姉のたくさんの知人からも連絡を頂きました。

本当に支えとなり励みになりました。

この願いが届いた事。感激で胸が一杯です。

慌ててのBlogでの報告なので、かなり乱文ではありますが、この場を借りて今回家族の安否確認に関わってくれたたくさんの方達にお礼を言わせて下さい。

「本当に、本当にありがとうございました!」

みなさんも「明日は我が身」

自分の体は自分で守れるように危機管理を充分に日々を過ごして下さい。

私達家族も早く嫁さんの家族に再会したい気持ちで一杯です。

一生懸命に生きるなんて大袈裟なことは言わないけれど、繋がりは大事に積み重ねていきたいですね。

丸六日が経ちました

あの震災から丸六日が経過して、未だに岩手県釜石市の家族とは連絡が取れません。

ずっとこのBlogを通して経過報告をしていますが、我々の家族の無事を祈ってくれている方達が多くいることを知り、連絡が取れず不安の気持ちが積もる反面、気持ち的に支えられていることを実感しています。

嫁の姉の多くの知り合いが安否を心配して親身になって探してくれていること。

私達からは顔も知らない、関わりも持ったことのない方達が、私達と同じくらい強い思いで心配をしてくれていることに色々な思いが沸き上がり何とも言えない気持ちになります。

しっかりとした考えを持ち、行動力がある姉なので難を逃れた今も強い気持ちで辛い時間を乗り越えてくれていることと思います。

そして考えるよりも先に体が動いてしまい、少しおっちょこちょいな部分がある母を支えてくれていることだと思います。

あの悲惨極まりない震災から、あっと言う間に7日目を迎えている訳ですが、この間にも被災者たちは何を考え、今を頑張れているのか。経験をしていない私としては、これからを生きるためにも今回の事を母・姉から色々と聞きたい、教えてもらいたいと言う気持ちで一杯である。

現地は今日も雪が降り、気温も下がり寒い。どうしているだろうか。

食料・水は足りているだろうか。

どれだけの情報が耳に届いているだろうか。

20日から姉と一緒に旅行へ行く予定だったと言う方とTwitterを通じて連絡を取った。

もちろん私達はそういう予定があったことは知らなかった。

その旅行を楽しみに仕事を頑張っていたに違いない。

母は静岡にある我が家に、ウチの次男坊の中学の入学式に合わせて4月に一週間ほど泊まりに来る予定だった。

まさかこんなことになるなんて誰も知る由もなく現在の状況になってしまった。

被災地の現状は毎日のように色々と報道されている。

・「被災地 戦時のよう」 (朝日新聞より)(PC版)

・避難所で健康不安高まる・・・インフル流行の危険も (読売新聞より)(PC版)

・燃料不足、毛布で耐える 積雪でしのびよる寒さ (東京新聞より)(PC版)

・被災者受け入れ進む 県、内陸市町村に要請 (毎日新聞より)(PC版)

余談ではあるが、ここ数日間は被災地の情報ばかりに気を取られて、自分の家の米が明日で底を尽きる状態になっていた。

慌てて米を買いに行くが、案の定、被災地以外の地域までお店の品物が品薄状態となっていて、幾つかの店を回るが米は売り切れている。

米だけじゃない。水・トイレットペーパー・乾電池・カップラーメン・マスク・カセットコンロ、その他もろもろが売り場からごっそりと無くなっている。

自分でそれを目の当たりにして驚くばかりだ。

まさか我が家で米に困ることになるとは・・・。

まぁ、こちらはまだライフラインはハッキリ言って通常通り。慌てることはない。

とにかく、また家族からの連絡を待つ。

連絡を待った分だけ、本人達からの連絡が来た時には喜びも何十倍の味わいだろう。

寒さや空腹に負けず頑張って欲しい。

無事を祈っている。

出来れば晴れて、せめて星の光を被災地に照らしてくれると有り難い。

頑張れ母ちゃん!

頑張れ姉ちゃん!

辛抱して待つしかない

また岩手県釜石市の家族と連絡がつかないまま夜を迎えた。

向こうは雪も降っているようだ。寒いだろうに。

必死に復興作業を行い輸送手段を海からとするために釜石港を整備したが、国との連絡に不備があり折角の救援物資も全てを陸揚げ出来なかったと報道があった。悲しい現実である。

津波の被害をもろに受けた浜町と釜石市内。それより少し西側にあるJR釜石駅まで津波の被害があった。

それよりも更に少し西へ行くと津波の被害はなく、こちら側は今では電気と水が復旧しているそうだ。NTT局もこちら側にある。そしてこちら側のスーパーも営業を開始していて、現地の人の話では「天国と地獄の差だ」と言葉にしているようです。こちら側はAU、ソフトバンクの携帯電話も使える場所があるらしいが、NTTドコモは今でも繋がらない。

嫁さんの実家は津波被害が報道されている市内よりも南側に位置していて、救援物資などは遅れをとっているようだ。

被災地での被災者の現状は色々と報道されている。その中で色々と思い考えさせられることがたくさんある。

・悲しみ・不安抱いて 唇かみしめ再起誓う (河北新報より)

・救援物資が届かない 食事はおにぎりだけ (岩手日報より)

・被災地に雪、氷点下「限界に近い」 (読売新聞より)

何にしても私達は家族からの直接の連絡を待つしかない。

あくまでも自分達の気を紛らわす為にも現地の情報だけには目を通すようにしている。

きっと避難所には避難せずに自宅に残り頑張っているんだ。

そう信じて引き続き連絡を待つ。

頑張れ!被災地のみんな!

引き続き連絡を待つ

また連絡がつかないまま夜を迎えてしまった。

正直、気が張り詰め続けて辛い。

今日になって、だいぶインターネットのサイトで岩手県内の避難者リストを見れる場所が増えてきた。

避難者リストを見付ける度に期待を膨らませて目を通すが家族の名前は見当たらない。

現地の情報によれば嫁さんの実家は直接、津波の被害を受けていない地区にある為、もしかすると避難所へは行かずに自宅で自力で乗り切っているのかも知れない。

津波発生当時、職場にいたと思われる姉は難を逃れ自宅に帰り母と合流出来ているのかも知れない。

市内へ入る為に通らなければいけない国道45号線は津波発生当時は逃げる車で渋滞となり何十台と言う車が津波にさらわれた。それは私自身もテレビを通して実際に見ている。その中に、たまたま買い物に出掛けていた母がいないとは限らない。考えたくはないが・・・。

津波の影響で、この国道45号線が遮断されて市内への経路が途絶えてしまい、市内に向かうには南リアス線の線路を歩いて抜けるしかなかったが、昨日までの自衛隊などの活動で国道45号線も通り抜けが可能になったそうだ。

この情報を知り、市内に入れればNTT局にも行けるだろう。衛星電話が設置されている避難所へ行けるだろうと、連絡がくるだろうと期待を高めて待つが、連絡はまだない。

携帯電話もAUのみ通話が可能な場所もあるらしいが、母と姉が使っているのはNTTドコモだったりする・・・。

何にしてもライフラインが復旧していないこの地域、釜石市では被災者も情報に乏しく、どうしていいのか分からないと言うのが現状のようだ。

今直ぐにでも飛んで行きたいが、時期早々であり、現地へ辿り着ける可能性が薄い。

現地入りして被災者に手を差し伸べて協力してくれている行動力ある人達には本当に感謝の気持ちで一杯になる。

『実際に現地入りしてBlogで状況を伝えてくれている人達』↓

釜石へ救援物資を運ぶ part1~part3

被災地釜石に直接足を踏み入れる

こう言った方達は思った以上にたくさんいる。そして伝えてくれる。有り難い。

とにかく引き続き情報を集めながら家族からの連絡を待ちたいと思う。

無事でいるはず。

願いよ届け。

気が休まらない

あれからまた一日が経過してしまった。

また暗い夜を迎えてしまった。

灯りが欲しいだろうに、暖が欲しいだろうに、水・食料が欲しいだろうに。

まだ嫁さんの実家の母、姉、祖母、母の兄弟とその家族の安否確認が取れていない。

気が休まらない。

待つしかないのは分かっているが、待つことが苦しい。

色々と現地の小さな情報から、そして安否に繋がる情報をと個人的に出来るだけ集めて探しているつもりだが辿り着かない。

自分の実家、茨城の母、兄弟と他の身内は無事を確認し、家の中は地震の衝撃でグチャグチャと物で散乱してしまっているようだが、元に戻せる範囲。

早速、私の弟は昨日やっと電気が復旧したと言うことで、ミクシィのマイミクを通じて一緒になって情報を集め協力してくれている。

嫁さんの従兄弟もインターネットから情報を集めてくれている。

だが、有力な情報はまだない。

私もあらゆるものに目を通しているが見つからない。

その中で、被災地に関係ない方々も一生懸命になってtwitterのツィートをtogetterで整理してまとめてくれたり、ミクシィのコミュニティを整理してまとめてくれたり、今までのあらゆる有力な情報をウィキにまとめてくれたり、被災地の避難所へ出向き避難者のリストを写真に撮ってサイトにアップしてくれたり、本当に頭が下がるほどの協力をしてくれている人達がたくさんいる。本当に感謝で涙が出てくる・・・。

しかし、見つからない。

私達にも根気が必要なようだ。

諦めずに探そう。

再会を夢見て。

心配してくれているみんなにも良い知らせが出来るように。

信じよう家族を。

被災者のみんな頑張れ!

二日が経過

東北地震から二日が経過し、三回目の夜を迎えた。

嫁さんの実家、岩手県釜石市の震災の被害は深刻であり、目を覆いたくなるほどの惨状である。

今朝、嫁さんの従兄弟を経由して、嫁さんの母の妹(4人兄弟の次女)の安否を確認することが出来た。やっと身内一人の無事が分かり、希望が差し込んだ朝だった。

今日の午前中から、やっとフジテレビのクルーが現地入りして、中継を少しずつだが目にすることが出来るようになり、改めて被害の大きさに驚くばかりである。

中継が多くなった岩手県大槌町は釜石市の隣町。

インターネットなどで被害の映像を見るスーパーの「マスト」は津波の被害で見る影もない状態だった。ここは実家に帰れば必ず行くスーパーで、この地域では有名なスーパーであり栄えている場所でもある。こちらで言うと「ジャスコ」と似たような感じ。大きなショックを受けてしまう。

ビルの上に乗った状態の船の映像。

至る所で立ち込める煙り。

出来る限りの情報を集め、嫁さんの家族、母と姉に繋がる何かをと必死にTVとパソコンとに睨めっこを続けるが辿り着かない現状に正直、焦りがあるのは否めない・・・・。

安否確認ツールで人探し。

同じように姉を探してくれている方と電話で話すことが出来たが、その人も私と同じで手掛かりがなく行き詰っている状態だった。

母は定年を迎えて去年からは仕事はしていない。被災時に買い物に出掛けていなければ家に居たはずだ。

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住まいの近くをGoogle Earthで見る限り、建物は大丈夫なように見えるが真実は何も見えてこない。

この地域は道路が遮断され孤立していると言う情報があるが、何処に避難しているかも分かっていない。

色々と調べていくうちに色々な情報が目に入り、頭に入り、色々な事を想像させられる。

頭痛が続き、気分も優れない。嫌な思いと吐き気が襲う。

嫁さんはもっと気がまいっているようだ。

しかし、被災地の人達は今でも必死に生きようと頑張っている。

前を向いて、今を頑張っている。

母、姉、祖母、母の兄弟とその家族。

みんな無事でいてくれ。

生存を信じてるし、ずっと祈っている。

頑張れ。本当に頑張れ。

本当に胸が苦しくなる。

頑張れ!!

P.S. 心配してくれて自宅に様子を見に来てくれた元インパルスFCコーチのO本さん。気を確かに持てとウチの嫁さんの様子を見に来て、被災した訳ではない私達に救援物資を持ってきてくれたT田さん、K澤さん、Y田部さんの奥さん3人衆。その他、色々とメールや電話をくれた皆さん。少し気を紛らわせてくれるし、みなさんに支えられて私達も頑張れてます。本当に感謝です。良い報告が出来ると良いなと思っています。

『岩手県釜石市被害状況に関する記事』

美しかった釜石は津波で粉々に・・・ 故郷が消えた

『減災雑感』 被災地にCash for Workを

<東日本大震災>大槌町長、津波に襲われ不明

東北地震から一日が経過・・・

あの大地震から一日が経過した。

未だに嫁さんの身内とは誰一人連絡が取れない。

岩手県釜石市の津波の被害は、その土地を知っている人達からすると相当ショックな映像である。

東日本大地震 岩手県内の様子は(動画)

日テレNEWS24

現地の捜索状況の記事

あれからTVからの情報に釘付けだが、本人達の安否に繋がる情報は得られず、インターネットやツイッター、安否確認のツールを利用するが、現地の当の本人達になかなか直接繋がることは出来ない。

映像は祖母が住んでいる地区が津波に飲み込まれていくところだが、住まいはもう少し高台にある為、直接の被害はないと思われる。

色々とツイッターで情報が少しずつ伝わってきてはいるが、現地ではガス・電気が停まり携帯電話基地局にダメージがあり連絡の手段が皆無であること・・・。しかし、水道は生きているとの情報もある。

NTT局に行けば、そこから電話が出来るらしいが距離的に身内がそこまで辿り着くのは困難と考える。

身内に男手がいないのが辛く、ここで祈るだけの自分がもどかしくてたまらない・・・・。

とにかく無事を祈り、連絡を待つ。

きっと無事だ。

そう信じて少しでも情報を集めて時間を繋ぐ。

被災地のみんな頑張って!

来月にこちらに遊びに来ると約束したばかりだった母。

元気な声を聞かせてくれ。

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